里見先生は、フランスに渡航しヴラマンクに師事して西洋絵画を勉強し日本にフォーヴィズム(野獣派)をもたらした昭和期の洋画家です。

父は里見先生をとても尊敬しており、かなりの影響も受けていました。

先生も父を信頼して下さり、お互いに家族ぐるみで仲良くお付き合いでした。

私は物心つくか付かないかの頃から里見先生の強烈な絵と人格に触れて育ちました。

里見先生は、ピアノを勉強する際にピアノの先生を探して下さった方で言わば私の音楽人生の恩人と言っても過言ではありません。

当時、ネットなどは無く、音楽には一切関わりの無い我が家は、私のピアノの先生を探すのに困っておりました。

ある日、父が先生のお宅を訪問し、四方山話の末、私のピアノの先生探しの話題となりました。お酒が入った先生は「僕の親友に聞いて見よう」と言い深夜にもかかわらず親友の音楽評論家野村光一先生に電話をかけました。父は深夜なので止めましたが、「いいんだ腐れ縁で親友なんだから・・」と電話してしまったのでした。酔っ払いが夜中に電話をかけた事には全く気にされておらず、野村先生は即答で「岡本美智子」先生を推薦されました。基礎からしっかり教えることの出来る岡本先生なら間違いない、との判断でご紹介頂きました。

当時、岡本先生はアメリカ留学より帰国したばかりで桐朋音楽大学の講師に就いておりました。

私は、岡本先生の最初の生徒となり桐朋とともに長い縁となりました。

里見先生は子供の頃音楽家になりたくてバイオリンを勉強しており、一方野村先生は絵描きになりたくて絵の勉強をしておりました。大人になったらお互い逆の職業となったと感慨深げに話しておりました。

里見先生は、勲章を受賞の内定電話をもらった時、

「要らない」と突っぱね、「そんな物を貰う為に絵を描いている訳でない」と半ばお冠。

担当の方が鎌倉の先生宅に勲章を持参しましたが受けとらず、持って帰る訳にはいかず困っていたら、当時飼っていた犬を指さして、

 「だったらそこの犬の首にかけておけ!」と怒鳴り担当者を追い出したそうです。

担当者は勲章を奥様にそっと渡して帰られたと、生前、先生と奥様お二方から聞かされました。

里見先生は彼の絵からも分かる様に強烈な個性の人でした。私は里見勝蔵先生の絵は勿論、一人の画家としても大好きです。